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2006年 - 2月25日、国立競技場で行われたシーズン最初の公式戦・ゼロックス・スーパーカップでガンバ大阪に3-1で勝ち、浦和レッズとなってはじめて同タイトルを獲得し(旧日本サッカーリーグ時代には、前身の三菱重工時代にスーパーカップ3度優勝している)、幸先のよいスタートを切った。また、2006年J1第2節のジュビロ磐田戦に勝利したことによりクラブ史上初めてリーグ戦の通算成績が勝ち越しとなった。5月には、香港におけるフィリップス・ライティング国際7人制サッカー大会に全勝で優勝、前年に続く2連覇を達成した。 2006年J1第2節で、レッズはJ1(初期のJリーグを含む)主催試合観客動員数500万人を突破した。これはJリーグ加盟31クラブを通しても初めての快挙であり、またJ1在籍年数が1年少ないにもかかわらず、2位の横浜F・マリノス以下を大きく引き離す数字である。またこの年度の観客動員数は774,749人でこの数字もJリーグ歴代最高年間観客動員数である。 この年は開幕ダッシュに成功。その後も着実に勝ち点を延ばし、第3節以降は常に3位以内を保ち、さらに第22節から6連勝して第25節に首位を奪い、以降は一度も首位の座を明け渡さなかった。そして12月2日、シーズン最終節を首位で迎えたレッズは、2位のガンバ大阪との直接対決に臨んだ。この試合結果が「勝ち又は引き分け、若しくは得失点差が2点差以内の負け」で優勝という条件の下、先制されながらもポンテの同点ゴールとワシントンの2ゴールの活躍でこの直接対決を3-2で制し、初のJリーグ年間王者に輝いた(ワシントンはこの2得点で自身初となるJリーグ得点王のタイトルを獲得)。 J2降格経験チームのJリーグ年間王者は浦和が初めてである。最終節ではリーグ戦史上最多観客動員となる62,241人を記録した。その最強のサポーターは、選手入場時にバックスタンドに赤・白・黒のシートおよび黄色の風船でクラブのエンブレムを描くという過去に例のない大パフォーマンスを行った。 優勝の原動力となったのは、リーグ最小の28失点(1試合平均約0.82失点=J1リーグ史上最小)に抑えた強固な守備力、浦和レッズ史上3人目の得点王に輝いたワシントン、DFながらFW顔負けの豪快なゴールを何度も記録した闘莉王の得点力、ベンチ入りすら出来ない日本代表経験者がいるほどの圧倒的な選手層、連敗が一度もなく特にホームでは無敗(年間ホーム無敗は史上初)という記録を作った安定感のある戦いぶりであった。勿論、どのスタジアムでも圧倒的な応援で選手を鼓舞し、ともに戦ったサポーターも強力な後押しとなった。 なお、この年のリーグ戦戦績は前半17試合と後半17試合の両方で最多勝点(36)を上げ、04年以前のステージ制と照らし合わせて考えても両ステージを完全優勝となる成績で、安定した戦績を残した。 天皇杯では、ワシントンや闘莉王、アレックス、坪井など主力の多くを途中から欠く陣容となったが、リーグ戦では控えであった選手達が奮起して勝負強さを随所に発揮し、ジュビロ磐田・鹿島アントラーズというかつての強豪を立て続けに破り、決勝ではほぼベストメンバーで臨んだガンバ大阪を1-0で三たび破り2年連続優勝(Jリーグ開幕後の天皇杯連覇チームは初めて)、リーグ優勝と天皇杯優勝の2冠を達成。同時に2008年度のAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。 選手、監督としてレッズの発展に貢献したブッフバルト監督は2006年の天皇杯を最後に退任し、2007年シーズンは国際サッカー連盟の技術部長となっていたオジェックが11シーズンぶりに監督に復帰した。
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